■シンポジュウム

「多摩ニュータウンの再生」
今、多摩ニュータウンでは、都と公団によるハードとしての街づくりがほぼ終了し、産官学民連携で街の機能を育てていく新たな成長ステージに入っています。豊かで成熟した街とはどのようなものか、21世紀型の街づくりに向けて動き始めている人たちの実践事例をご紹介しながら、これからの街づくりを皆さんとともに考え議論する会としました。

研究発表とシンポジウムの詳しい内容は、春に発行予定の「学会誌」でご紹介します。ここでは、その概要についてご報告します。(文責:多摩TN学会 広報担当:植月真理)

基調講演:川手昭二氏(筑波大学名誉教授)
     「私が考えるこれからの多摩ニュータウン」

1.都市は成長し、変化するもの
1962年、新住宅市街地開発法(新住法)が制定され、東京都は首都圏のスプロール現象(無秩序に郊外に住宅地が拡大すること)を防ぐために、大規模かつ計画的に住宅を供給する方針を定め、ここから多摩ニュータウン開発のマスタープラン作成が始まった。

通常の都市計画と異なり、多摩NT開発では長期視点に立って決定した部分と、時代に合わせて変えるよう未決定の部分を包含している。前者は都市基盤(インフラ)部分、後者は住宅部分である。

多摩は東京の大緑地帯なので、緑のなかに都市を埋め込み、しかも道路・鉄道・河川・公園などの都市基盤は、子々孫々まで財産として使えるように充分な余裕を持たせた設計にし、30年かけて作った。また、丘陵地であるため斜面を緑地として残し、上面を造成し住宅面にした。こういう形で里山を残すあり方もあっていいのではと思う。住宅部分は時代の変化に合わせて変えていく設計思想をとった。

2.連合都市構想
多摩NT開発は団地づくりではない、都市づくりである。1965年にいわゆる「65年プラン」と称する計画を打ち出した。つまり、八王子・立川・町田・相模原など既存都市のエネルギーと多摩NTをつないだ連合都市地域とすることで、企業などの機能誘致を加速させるねらいだった。各都市の中心地は完備された交通施設によって結合されるべきで、モノレールもその一環。

しかし、1990年代にこの計画は中断された。今、都心回帰が進んでいるが、公式決定とも言うべき都市計画に基づいて住宅を構え、オフィスを立地させているのに、都心中心主義に戻ってしまうのはいかがなものかと思う。

一方で、尾根道路に沿って高尾山のほうに行く武蔵野の道を緑地化する工事を都は着々と進めている。乞田川流域の歴史と文化の散歩道など、電車を使って駅から広域にハイキングを楽しめるような東京西部の大緑地帯を、後輩たちが進めている。50年かけても作りたい。やめるべきではないと考える。

3.都市づくりの総合評価
「多摩NTはオールドタウン」「多摩NT開発は失敗」とか言われるが、そうだろうか。郊外の需要を奪った都心一極集中政策のほうが間違っている。21世紀型の都市づくりに転換する必要性がある。

多摩NTの都市基盤は、最先端技術を投入して時代の変化に対応できるようなしつらえにしてある。時代とともに生活水準は上がり、都市も変容していく。基盤はしっかりあるので上モノは行政財産管理の視点ではなく使用者の視点で、ニューマンスケールで演出・手直ししていくのが望ましい。

講師プロフィール:
1951年 日本大学理工学部建築学科卒業。
1956年 東京大学工学部大学院終了。
1977年3月まで日本住宅公団に勤務。多摩NT、港北NTの企画・設計に携わる。
1978年以降、筑波大学社会工学系教授、芝浦工業大学システム工学部教授を経て、1994年5月、筑波大学名誉教授に。主な著書として『都市開発のフロンティア』(鹿島出版)。

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