受賞作品〜中学生の部〜

学会賞

・機械都市でない町に賞(学会)

「多摩ニュータウンと自然」 多摩市立東愛宕中学校2年 堀内 雄斗

  僕は幼稚園に入る前にこの街へ引っこして以来、この街がすごく好きだ。特にこの街の自然とはいつも近い所にいた。幼稚園の行き帰りの道にある大きな竹林、小学校の中庭の木々と校庭のすみにさく大きな桜の木でよく遊んだ。その思い出は今でもすごくよく覚えている。

  しかし中学生となり、そういったような機会も少なくなり、忙しさもあってか最近は自然を気にする余裕が無くなってしまっていた。そんな時、たまたま見てしまったのがついこの間まで背の高い竹林だった所を造成している所だった。そこはすごく良い風景で、多摩センターから氷山の方まで広く見わたせる絶好の場所だったのだ。この建物が出き上がったらこの景色と竹林は消えてしまうのかと思うと正直言ってショックだった。こんな建物のために絶好の景色と竹林が消えてはたして何の意味があるのだろうかと思った。

  それに加えて最近の大通りに出ると排気ガスのニオイが鼻につくようになったと思う。車の通行量はあまり変わっていないと思うが、けっして良いことではない。

  それぞれのことから僕が連想するのは多摩の都心化である。いつしかこの多摩も新宿や六本木などのように高層ビルの立ち並ぶ都心のような大都市になりかねないと思う。しかしそういうふうに緑が無くなり変わりに高層ビルが建てば、もはやそれは多摩ニュータウンではなくただの機械都市である。やはりニュータウンには緑が似合っているから、機械都市にはなってほしくないし見たくもない。

  僕の大好きなマンガ家の手塚治虫の作品のひとつにこんなシーンがあります。

  開発で木々が切られていくのを見た主人公が「〜山が泣いている。〜」と言うシーンです。僕はこの話を読んだ時、このニュータウンとこのシーンの街とがだぶって見えました。そして、このニュータウンの山々は泣いていないだろうかと思いました。

  緑と一緒のニュータウンであるこの多摩の自然は残念ながら少なくなりつつあるようです。一般にいう再開発で、しょうがないのかもしれません。でも、もう少しこの街の自然を考えてもらいたいものです。みんなが好きなニュータウンであるために。

 

・地域の伝統と歴史賞(学会)

「別所の歴史と伝統」  八王子市立別所中学校 1年 長沢 恵梨子

  私の住んでいる別所は多摩ニュータウンにあり、自然が豊かで、緑がとても多く見られます。現在マンションがある場所も、昔は田畑だったと聞いています。

 別所はとても歴史の深い町です。昔は別所村と呼ばれていました。「別所」という地名は全国で二百以上もあると言われ、各々の場所には薬師堂があることが多いそうです。私が住むこの別所は古くから薬師様と長池のある所で有名です。薬師様は薬師如来といい、仏教で人々の病気を直すといわれている仏教です。蓮生寺というお寺には薬師堂があり、ここにまつられている薬師様には、長池にからむ古い伝説があるのです。

 昔この地方には豪族が多く住んでいて、ある豪族に美しい娘がいました。毎日不自由ながらも楽しい生活を送っていましたが、戦乱の世となり父や兄は戦場にいってしまい、そのまま戦死してしまいました。そして遂に母も病気になり、亡くなってしまいました。娘はとほうにくれてしまい、蓮の花の美しく咲いた長池が悲しみと絶望から救ってくれると感じて、守り仏としていた薬師の像を抱いて清らかな長池に飛び込んで自殺してしまったのだ、という悲しい伝説があるのです。娘に深く同情した村人は毎年五月五日に木像を長池に投げて娘の霊をなぐさめていたそうです。

 しかし、この話にはまだ続きがあります。蓮生寺の和尚さんがある日、長池まで散歩に出かけました。長池の淵まで来た時、思わず足を止めてしまいました。池の中で何かキラキラ光る物があるのです。しばらくするとその光はだんだん薄くなっていき、その光っていた所から汚れた木切が浮んできたのです。ただの木切だと思って拾いあげた木切はなんと薬師様の木像だったのです。驚いた和尚さんは早速それを持ち帰り、寺のそばに薬師堂を建てておまもりしました。この木像は昔豪族の娘が自殺した時抱いていた薬師像が蓮生寺の薬師如来になったものと言い伝えられています。蓮より生まれた薬師というので大変有名になり、また目の神様として信仰されるようになったということです。

 調べればいろいろな伝説がありましたが、いずれも長池、薬師様に関係しているものです。私はこの自然豊かな別所ならではの伝説だと思っています。しかし、蓮生寺も長池もニュータウンの中の公園として生まれ変わってしまいました。かつての森林の中の神秘な池も切り払われ、地元の人の中には変わりゆく池の姿に心を痛める人も多いのです。お堂の谷戸で薬師様に花をあげた場所も今は花立公園という公園になっています。

 昔と姿は変わってしまったけれども、私達が気持ちよく暮らせるような広い公園や緑が多いこのニュータウンが大好きです。これからもずっとこの環境と歴史を大切に守っていきたいと思っています。

 

多摩のほたる賞(学会)

「このまま多摩ニュータウンで」  八王子市立別所中学校1年 石井慶一郎

  最近自然破壊と言う、言葉をよく聞く、多摩ニュータウンにも、いろんな問題があると思う。たとえばもっとリサイクルをしなくちゃいけない。とか、車の排気ガスで空気が汚れてきたりという問題がありそう。オレにも知っている問題がある。家の近くの小川に、東京大さんしょうおの卵がある。大さんしょうおは水のきれいな場所にしかいない。最近その近くに鉄くずなどのゴミ捨て場ができてしまった。それから、さんしょうおの話は聞かない。それと、その山の水田にホタルがいて、それを見に行ったら、オレの手に乗っかる穂どいっぱい、いたが、毎年、減ってきている。理由は、町の光が明るすぎたからっだ。去年は、遊園地が夜に観覧車の電気を消してくれた。その山には、トンネルが通り、その道路を通る車の排気ガスのせいで、今年はホタルが見えなくなるかもしれない。せめて、そのホタルは守ってあげたい。 

  でもいつまでも、自然を大事に,と言っていたら、不便になるかもしれない。だが、そのホタルがいなくなったら、もう、元に、戻らなくなってしまう。だから、はっきり境界を作り、山にトンネルを掘ったりしないほうがいい。今の多摩ニュータウンが、オレの理想に近い街だ。街の中には植物も、生えて、街には緑がいっぱいある。都会もいいが、こういう場所の方が、リラックスできるし、おもいっきり遊べる。校庭も広い。この多摩ニュータウンの自然を守っていきたい。

 

・多摩の宝物賞(学会)

「多摩ニュータウンの宝物」  八王子市立別所中学校1年 赤羽祥太

  ぼくは、平成五年に引っ越してきました。

 当時、家の近くには、ほとんど何も無く、一面野原でした。でも、今は宝物が増えました。

  ぼくが引っ越して一年ぐらい経ったころ、近くに「別所公園」が完成しました。この「別所公園」は友達と遊んだり虫採りをしたり、思い出のある場所です。

  その他にも「見附橋」という橋があります。この橋は、四谷見附から分解して運んできたもので橋の下には、大きい池がありその周りには、昔橋の上を走っていた都電のレールや橋の柱の一部などの資料が置いています。また、見附橋よりさらに奥へ入ると長池という池があります。この池は雑木林に囲まれていて中には鴨や鯉などたくさんの生き物が生息していてこの場所では「里山クラブ」という地域の自主クラブが活動していて田植えや炭焼きなどを行っています。ぼくの父は里山クラブの営みに関わっているのでぼくもそこで田植えの手伝いや草木の伐採なども行います。里山クラブではクラブの人達から樹木のことなどを学びました。

  ぼくは、地域の宝物をいつまでも残しておきたいです。そのためにぼく自身できる活動には進んで関わっていきたいと思います。

 

・素晴らしき仲間達賞(学会)

「今までを振り返って」  八王子市立別所中学校1年 森次博子

 私は、3才になったばかりのころ、狛江市から、ここ多摩ニュータウンに引っ越して来ました。どんなお友達がいるか、わからないまま、2つ上のお姉ちゃんと一緒に、真理学幼稚園に、通うことになりました。

 初めは、泣いてばかりいて、自分の教室にも入らず、お姉ちゃんに、くっついてばかりいたそうですが、お姉ちゃんが、卒園してやっと、周りのお友達と遊ぶのを覚えました。それでもあまり、友達と遊ぶのは、得意では、ありませんでした。なぜかというと、私は、引っ込み思案で、自分の思っていることを、はっきし言えなかったからです。家に帰っても、うちの中で、姉妹と遊ぶか、一人遊びをすることが多かったのです。それは、小学校低学年ぐらいまで続きました。

 そんな私が女子、サッカーチームに入ったのは、人数がたりないからというだけの理由でした。だから、私の性格を知る、周りの人は、みんなビックリしていました。このチームは、松ヶ谷団地ができたときにつくられたものでした。初めは松ヶ谷小の人が中心で、男子チームしかありませんでした。だから、女子も男子と一緒に混じってやってました。女子部ができるときになった時は、秋葉台小の人が中心でした。後で、由木や南大沢に引っ越しても、みんな続けて来てくれました。

 5年間の間に、私は随分変わりました。苦手な運動が好きになったり、リレーの選手になったり、サッカーでも選抜に、選ばれたりしました。それだけでなく、お友達と、とても楽しく、遊べるようになりました。それは、サッカーを通じてたくさんのコーチや、近所のお母さん達に応援や、励ましの声をかけてもらったり、仲間と力を合わしてプレーをしたこととかが、私にたくさんの元気をくれたからだと思います。

 中学生になると、勉強も大変になり、先生も近よりがたい感じがしますが、今でも時々、サッカーの練習に行くと、コーチも、後輩も、温かく声をかけてくれるから安心します。

 ここ多摩ニュータウンは、とても住みやすく、学校、公園などがとても大きく、広くて、運動が大好きな私にとって、ものすごく大好きな場所です。これからも、変わらない場所で、いてほしいです。

 

企業賞

・虹色の思い出賞(ベネッセコーポレーション)

「多摩ニュータウンの自然」  多摩市立諏訪中学校1年 小野寺美久

  私の自まんの町、多摩ニュータウン。

  多摩市は、都心と違って自然が多い。多摩市の空気は、排気ガスだらけの空気と違ってすんでいてきれいだ。私の学校は木や花、植物に囲まれている。学校に来たお客様や新しい先生は必ず、

 「たくさんの緑に囲まれたすばらしい学校ですね。」

 と、言われるくらいだ。

  私は、幼稚園児の時必ず、むらさき色の実、桜の実、からすのえんどうのたね、どんぐり、赤い実、しいの実などなどたくさんの物をとってきておままごとに、使った。むらさき色の実は、デザートのぶどう、どんぐりやしいの実でおかずにして、大きい葉っぱは、お皿変わりだ。外でやるおままごとは楽しい。

  小学校に入ると私は、木登りをするようになった。きっかけは、児童館の横にある一本の木、「ジャングル」に登って楽しくてしょうがなくなったからだ。この木は、ほかの木に枝をからみつかせている。このからみつきでできた物がある。それは、木のブランコ、木のハンモック、木のうんていだ。私はこの木で毎日遊んだ。木の下にかれ葉を集めて、その中に木の高い所から飛び下りたり、木の枝をするするとすべりおりたり、太い枝にジャンプしてぶらさがった。まるでさるのように。落ちそうでこわいけど、やっぱり楽しいという気持ちの方が強かった。木登りのほかに、土ねんどで遊んだ。土をほったらたまたまほりあてた。木の棒でほじくりかえして、土ねんどをとった。土ねんどを人形型にして遊んだ。どろんこになったけど楽しかった。

  私は春になると良く近くの公園に花見をしに行った。遠くに出かけなくても、たくさんの桜が咲いている。この公園は私の自まんの公園ナンバー1だ。桜がすごくきれいだから。

  夏になったらやっぱり、虫とりに行かなくては。父といっしょにせみとりをした。アブラゼミ9ひき、ツクツクホウシ5ひき、ミンミンゼミ4ひきだ。夏は、名前がわからないけど、植物のくきの皮をむくと冷たい事がわかってから、木影で顔に植物のくきをつけてすずみます。七夕も近所からささを取ってくる。星がきれいにみえる。

  秋はすすき。都心で買うと高いけど私の所はタダ。そこらへんにたくさん生えているからだ。母と思わず「家らはタダなのにね」と声をそろえていってしまったこともあります。

  多摩市はすごくいい所です。でも、坂道や階段が多いので、老人や障害の人は大変だと思います。だから、そういう大変な事が少しでも減ればいいなと思っています。

  私は、手をのばせばすぐに自然に振れられる多摩市が大好きです。だから、これから、誰もが住よい町になってほしいんです。みんなが、多摩市を好きになってほしいんです。

  多摩市はすばらしい町だから。

 

・すばらしい町賞(多摩テレビ)

「私の好きなニュータウン」  多摩市立貝取中学校 3年 岸野 麻樹

   多摩ニュータウンは、私にとって、とても住みやすく、すばらしい町だと思います。住めば都と言ってしまえば、それまでですが、ここには誰もが住めば納得をしてしまうほどの理由があるのです。

 一つ目は学校が沢山あることです。幼稚園、小学校、中学校、高校、大学が全てあり、とても近いのですごく楽です。近いのは学校だけではなく駅にも近く買い物などをする場所も近くて、交通手段には困らないし、生活するうえでとても便利です。

 二つ目は陸地に恵まれていることです。小さいとき洪水のニュースを聞き自分の家も流されるのではないかと心配していたときに、親から、「ここは高台にあるから大丈夫」といわれ、すごく安心したことがありました。確かに雨はものすごく降っても家が水びたしになるということは私が生きてきた中で一度もありませんでした。私はここに住んでいて本当によかったあと心から思いました。

 三つ目は道路と歩道が広くきちんとわかれていることです。小学校へ行くのにも中学校に行くのにも歩道があり、車と接することはほとんどありません。それは、通学路だけではなくなくすべての道に共通します。車が通るところでも歩道とはきちんとわかれていてとても安全です。都心から来た小学校の先生に、逆に鈍感すぎて危ないと言わせてしまったほどです。

  そして四つ目は、緑が多いいことです。木がたくさんあるせいか、空気がきれいで、都心から帰ってくると気分がせいせいとして、とてもホッとします。車がたくさん通り、排気ガスが充満しているところと緑がたくさんあり広く開放感あふれる場所で成長するのとでは大きな違いがあると考えています。私は小さい時から緑あふれる場所で思う存分遊び、虫を見つけたり、花を観察したりし、学んだことはたくさんあります。

  最後に五つ目は、車椅子を使っている方が通るスロープ、目の不自由な方への点字など設備がされていることです。私の団地内にも玄関までが長いスロープになっている棟があるし、図書館などの公共施設には、トイレに車イスで入れるところや、点字などさまざまな工夫がなされています。実際姉が車イスを使っている方にお聞きしたところ、多摩ニュータウンは比較的住みやすいそうです。

  こういった理由で私は多摩ニュータウンほど住みよい場所はないと思っています。ですが、これからは、ひとりひとりがごみなどの環境問題にも大いに目を向けて緑と水を守っていくことでもっともっと住みよい街になってゆくことと思います。

 

・ぽんぽこ賞(多摩ニュータウンタイムズ)

「多摩ニュータウン」 多摩市立諏訪中学校2年 福寿真理子

  「平成たぬき合戦ぽんぽこ」という映画を知っている人は多いと思います。高畑監督の作品なのですが、この舞台ととなっているのが、ここ「多摩ニュータウン」だったのです。 

  ニュータウン開発のために森を追われていたタヌキ達が人間達になんとか工事させようと悪戦苦闘します。しかしタヌキ達の健闘むなしく開発は進んでいくのでした。

  私がここに引っ越してきたのは、小学校五年生のときで、もう三年と少しになりますが、実際このあたりで野生のタヌキなんて見たことがありません。しかし、東京の中にしては自然は多いと思うし、お店や駅などもすぐ近くにたくさんあるしで、私達、人間にとっては「快適」と言える場所だと思います。

  でもこれは人間の私の目から見た「多摩」です。タヌキやその他の多くの動物にとってここが「快適」にうつっているかは別です。映画の最後では、タヌキは人間の姿になって人間社会で暮らしていたり、変化できないタヌキは残った森の中で暮らしていたりしていました。人間から「かくれて」暮らしているのです。

  私は先に書いたように「多摩」が快適だと思うし、好きです。学校へ行くまでの道には春には桜の花でいっぱいになり、秋にはいちょうの葉が黄色のじゅうたんをつくってくれます。公園や公共の施設も多く遊ぶ所にも困りませんでした。地域の人達の人柄も好きですし、お祭りなどの地域ぐるみの行事もたくさんあります。

  こんな多摩の良い所を生かして、タヌキや他の動物にとっても「好きな場所」にすることはできないでしょうか。「住めば都」という言葉がありますが、そうじゃない人だっているはずです。みんなにとって、自慢できるような「多摩ニュータウン」にしていけたと思います。タヌキが戻ってくるように…。

 

・町大好き賞(京王電鉄)

「大好きな町」  多摩市立貝取中学校3年 倉橋晃恵

  私は『多摩ニュータウン』と聞くと、まっさきに『住みやすい町』という事を連想します。私がそう思う一番の理由は、道路の設備です。歩道と車道がきちんとガードレールなどで分けられいたり、車道は広く、また、バス停がある所では、くぼみができていて、バスが止まっても後の車が追いこせるようになっていて、道路がつまる事もありません。そして緑の木々が大変多く、空気の清浄にも役立っていると思います。 

 多摩センター駅は、とても大きく、ここでも車が走る所と、人が歩く所はきっちり分かれています。私はよくバスを利用するのですが、駅前のバスターミナルは大変広く、初めて来られた方でも、分かりやすいと思います。また、バスターミナルを覆うように屋根がついているので、雨の強い日も気にせずにバスを待つことができます。多摩モノレールができたことにより、今まで時間のかかった立川へ、たった三十分程度で行けるようになりました。 

 多摩の町は,さらに『住みやすい町』へと進化していっていると思います。確実に,『そこに住む人々のための町』へ変化していっています。また,高年齢化社会にも,さらに役立っていくと思います。二十一世紀の多摩ニュータウンは,もっともっと住みやすい町に変わっているでしょう。

  私は,このように町が変わっていく姿を見てとてもうれしく思います。最近特にそう思ったのが車いすのマークがあるバスを見たときです。それに乗ると,段差は少なくなっていて,床がほぼ平らになっていていました。こういったバリアフリーがもっともっと増えればいいなと思います。私も,体に障害を持った人や,高齢の方が困っていたとき,すぐに声をかけようと思いました。

  私は,こんな風に思い起こさせてくれる多摩ニュータウンが大好きです。また、どこよりも自慢できる町です。ここに住む人々が快適に暮らせるようにと活動するボランティアなどがあれば,今度挑戦してみたいと思います。将来そのような仕事につくのもいいなぁと思っています。

  多摩は,私達にいろんなことを教えてくれる、とてもすばらしい町です。

 

・ふるさと賞(サンリオピューロランド)

「私のふるさと」  多摩市立貝取中学校3年 田辺真奈美

  私は生まれてからずっと多摩ニュータウンに住んでいる、混じりっけのない”多摩っ子“です。小学生のころ、仲間の生まれ故郷が、実は千葉やら青森やら聞くと、私は子供心に、「自分のふるさと」を持っている友達をうらやましく思いました。そういうとき、わたしは口をとがらせて、

 「私は生まれも育ちも多摩ニュータウンさ。」

とよく言ったものです。これを聞いた母は、

「また寅さんみたいなことを言ってる。」

とクスクス笑うのでした。

  そんなことをよく言った、といっても別に多摩がキライだった、という訳ではありません。母とのその妙なやり取りがおかしくて、わざとそんな風に言うのでした。今思うと、ニュータウンにすまないなぁ、と思います。

  ニュータウンのいいところ、それは自然が多いことです。ニュータウンの四季の変化はもう何度も見ているんですが、本当にきれいなんです。私は多摩の春がとくに好きです。ニュータウン一面ピンク色になるのが大好きなんです。クラブ合宿で多摩を離れていたことがありました。行く時はまだあまり咲いていなかったんですが、帰ってきたとき驚きました。ずらりと並んだ桜並木が、まるで私に「おかえり。」といっているようでした。私はその花びらの舞う道を通りながら「ずっとこの町にいたいなぁ」と思いました。そして”多摩っ子“であるっことがうれしくて、くすぐったい気持ちになりました。この自然をいつまでも守っていきたいと思いました。また、この町の緑たちがそういってるような気がしたのです。

  私はこの町にずっとすんでいるから、自然に囲まれて暮らすのが、あたりまえだと思っていました。でも、そうではない、守っていいかなければいけないのです。

  私が大人になって、一人立ちしたとき、多摩は私の“ふるさと”になります。そのとき、まだ私の大好きな多摩のままであってほしいです。

  21世紀になっても、何世紀たっても、多摩に生まれた”多摩っ子”たちが、「生まれも育ちも多摩ニュータウン。」と、自信をもって、いえるように、あの桜並木を見ることができるように。

  そのためには今の多摩っ子私たちが大切に多摩を守っていくべきなんです。

 多摩ニュータウンは、私の大好きな、大切な大切な、ふるさとだから、ずっと今のままで、いてほしいです。

 

・未来の扉賞(京王プラザホテル多摩)

「未来の扉」  多摩市立東愛宕中学校2年 永野 由里子

  私が生まれてもうすぐ十四年、ずっとこの街を見て育ちました。この街は二十一世紀に向かって、少しずつよりよい姿へと、うつり変わろうとしています。

  多摩ニュータウンが良いなぁっと思った点は、住宅が多く、住みやすい環境の中で、温かみがある所です。多摩ニュータウンは、多摩市、稲城市、八王子市からできいます。今の姿からは想像できないほど、昔の多摩センターには、イトーヨーカドー以外何もなかったそうです。現在の多摩センター駅付近には、パルテノン多摩をはじめとし、サンリオピューロランド、イトーヨーカドー、デパート、京王プラザホテル、映画館、公園、大きなスーパー、大学、大企業など、さまざまな施設あるいは、ビルが立っています。わずかの年月なのに、少し見ないと、

 「あれ?あんな建物あったかなぁ。」

と思わせてしまう程、移り変わりが激しいなぁと感じます。

  私にとって今の多摩は、あまり活気がないように感じられます。ひとつの例を取ると、横浜に、みなとみらいができ、コスモワールドという大きな遊園地もできて、観光客も増えました。観光客が増えるという事は、お店も繁盛し、利益が上がり、街じたい活気づきます。私の多摩に対する夢は、活気のある未来です。その未来の扉が、少しでも早く開かれる事を期待したいです。

  未来の多摩ニュータウンが、どのようにうつりかわっていくか、私の瞳の奥に二十一世紀の多摩ニュータウンが、見えるような気がして、ものすごく、きょうみをいだいています。これからの未来を支えていく私たち一人一人が、自覚を持ち、移りゆく時代とともに、魅力ある、そして活気ある多摩ニュータウン作りにおおいに期待し、そして参加し、私自身も、成長して行きたいと心から思っています。

 

・ペットと暮らせるまち賞(もしもし新聞)

「多摩ニュータウンとペット」 八王子市立別所中学校1年  武岡 祐里

  ここ多摩ニュータウンは、団地が多い。とくに、ペットを飼ってはいけない団地はかなり多い。小鳥や金魚、リスなどの小動物ならいいのだが、犬やネコはいけないらしい。今、私は多摩ニュータウンのペットのことを調べているが、ペットを飼っていい団地はほとんどない。

 ペットを飼ってはいけない理由は大きくわけて2つある。1つ目は、糞・尿のことである。団地のエレベーターの中でしてしまう犬がいるらしい。2つ目は、鳴き声である。犬は大きな声で鳴くので、周りの住人はえらく迷惑らしい。でも、ある意味うれしいことかもしれない。犬やネコを見捨てられないという人間がいるということは、まだ人間の中にやさしさがあるということだと私は思う。

 しかし、この世には、不幸な犬やネコがたくさんいる。飼い主に暴力をふるわれたり、生まれたばかりの子ネコを見捨てたりすることだ。でも、私が一番心をいためたのは、毎年何十万もの犬やネコが地方自治体が管轄する動物収容施設に集められて殺処分されてることだ。この話を聞いたとき、泣きそうになった。施設職員は「ここで仕事をしていると、人の情けは紙よりうすいと感じます。」と言っていたことが書いてあった。本当にその通りだと私も思う。どうして、人間の勝手で、犬やネコなどの命をうばっていいのだろうかとすごく思う。

 ニュータウンにも捨てネコがいっぱいいる。私の家の近所には、約20匹ぐらいいる。学校に行くときや帰るときなどによくネコをみかける。すごくやせていて、中にはケガをしているネコをみると、すっごく悲しくなる。少し前に、むかつくことがあった。それは、学校から帰る途中、2人の中学生がまだ小さい子ネコをおいつめて、よってきた子ネコをけって遊んでいたことだ。子ネコは、ギリギリのところでよけて逃げていった。最悪だった。しかも、次の日また同じことをやっていた。人間はなんて残酷なんだろうと思った。

 近々、ペットを飼っていい団地ができるらしい。その団地ができることで、少しは捨て犬やネコが減ってくれることを願いたい。

 もう、捨て犬やネコ問題は、ほっといていい問題ではなくなってきている。多摩ニュータウンも例外ではない。殺すのではなく、もっといい方法で、この捨てられてしまったペット達を救ってあげたい。もともと、人間がこういうことをしてしまったのだから、ちゃんとあとのこともやった方がいいと思う。私は、なるべく早く、捨て犬やネコ達や、ペット達が平和で安全に生きていける世界を作りたい。

 

・オールドタウンも悪くない賞(多摩新聞)

「多摩ニュータウンで育って」  多摩市立諏訪中学校2年 多田百合香

  私は一才頃多摩市に引っ越して来ました。以来ずっと多摩市で暮らしています。ですから多摩に対して何か思ったり考えたりすることなど最近までは、ほとんどありませんでした。私にとって多摩は「何となく」住んでいる所であって別に好き好んで住んでいる所では無かったのです。

  ある日道を歩っていると車椅子に乗った人とすれ違いました。別に何ということはない、私にとっては普通の光景でした。しかしふと思ったのです。

 「多摩市には坂が多いのにどうして車椅子の人や障がいを抱えた人が多く住んでいるのだろう?」

  考えて見れば多摩市を出てもここ程多く車椅子の人を見る所は無いような気がしたのです。買い物に行く時も登下校中にも大抵そうした人達を見るのです。しかし多摩は丘陵地帯を切り開いて作った“ニュータウン”なので、お世辞にも平らだとは言えないような山坂ばかりの道が何処に行くにもあるのです。不思議に思った私は早速家に帰ってから母に尋ねました。

  母は多摩に引っ越してきてとても住みやすい所だと感じたと、言いました。幼い私をベビーカーに乗せて歩くのに何処でもスロープがついていたりして歩きやすかったそうです。ベビーカーに優しいということは車椅子にも優しい街だということじゃないのか、と母は話をしめくくりました。

  街を歩けば至る所に盲人者用信号や点字版などがあります。スロープや駅のエレベーター、そして道はばが広いこと、これらはもしかしたら体に何らかの障がいを抱えている方にとって「住みやすい」と感じられる街の条件の一つかもしれないのです。そう思うと多摩は誰からも愛される街なのかな、と感じて私は少しうれしくなりました。

  今、多摩市はどんどん変わっていっています。影では「オールドタウン」などとささやかれ、周囲に出来た新しい街に移り住む人も多くなっています。でも私は、例え「オールドタウン」でも悪くはない、と思うのです。

  公園にある木は年ごとに太くたくましくなっていきます。私が引っ越してきた頃支えを必要としていた木はもう子供が登った位で枝が折れるようなか弱い木ではありません。それは「オールドタウン」になっていけばいく程出てくる「味」でもあると思うのです。確かに問題点も多いとニュースや新聞でも見聞きします。しかし「オールド」には「オールド」の良い所だってあるのは確かです。

  これからも多摩市はどんどん変わっていくことでしょう。でもその時に緑が多く、また障がい者の方々にも優しい街であり続けて欲しいと思っています。私がこれからも多摩に住んでいて良かったと言える為にも。

 

・江戸っ子多摩っ子賞(学研)

「私は江戸っ子多摩っ子?」  多摩市立東愛宕中学校2年 川口 亜弓

  私には、2つのふるさとがあります。1つは、私が生まれ、小学校1年生までの、わずか6年という短い時間いた、江戸川という、ディズニーランドの近くの区です。私の家の真横には『土手』という、防水や防風のための、かべみたいなものがあり、それは、土手の向こうに『江戸川』という川があるから、そのためのものです。しかし、その川は、『キレイな川』とは、言えません。地域の人が積極的に、川そうじをしない分、よごれていきます。そんな江戸川の自慢は、近所の付き合い方と土手です。江戸川は、1軒屋が多いので、お向かいさんとの交流がさかんです。例えば、何か、お祝いをする時は、必ずといっていいくらいお料理をわけに行きます。あと、家族ぐるみのつきあいが多いのです。そしてもう一つ、江戸川独自の、土手です。川は、あまりキレイではないのに、土手は、とてもキレイなのです。その土手にはよく、マラソンをしている人達が目立ちます。土手をずっと行くと、線路がみえ、それをさらに歩くと、『帝釈天』という「男はつらいよ」のとらさんがでていた大きなお寺があります。その土手は、とても長いのです。夜は夜で、となりのおばあちゃんがむすんでくれたおにぎりと一緒に散歩です。小さい私は、よくはだしで歩きました。ようするに、私は江戸川が大好きです。

  さて、2つめは現在住んでる多摩です。多摩は、とっーーーーーても緑が多いです。私の家の周りは木がたくさん植えてあります。おかげで父は、多摩に来てから、花粉しょうになってしまいました。江戸川は、近所の付きあいは、さかんですが地域の交流は、あまりありません。それにくらべ多摩は、夏まつりはもちろん、地区運動会、秋そばまつり、子供会、他にもいろいろ、とても楽しいイベントばかりです。しかし中学生の私は、そういうおまつりは、だいたいが、部活でつぶれてしまいます。とても残念です。今は私の弟がそういうおまつりに参加しています。うらやましいです。あと、中学生の私から見て、多摩は、買い物をしたりするのにとても便利です。かわいいお店がいっぱいです。それにくらべて、江戸川はそういうお店は、ありません。そういう所は多摩は進んでいると思います。

  江戸川、多摩の両方の町を知っている私はとてもラッキーだと思います。でも、どちらかというと私は、多摩に住んでいて、よかったと思います。