多摩ニュータウンへのラブレター

【ふるさと】

80.「多摩センターへ寄せる想い」

本吉 寿夫(会社役員) 多摩市鶴牧

 子供たちが独立したのを契機に,妻と二人で3年前,センターへ移り住んだ。今では,終の住処にしたいと考えている。

 緑と太陽と,文化施設が共存している理想的な近代都市というのが,外から見たセンターのイメージであった。

 入居して3年経て,そのイメージは若干変化している。多摩センターの現状を一口で要約すると,「センターの光と影」となる。光は正に,社会的インフラの整備されたハード面と,緑に囲まれた抜群の環境であり,影の部分は小子化,高齢化等の社会的環境の急激な変化に対する対応の遅れ−再開発の必要性にある。

 多摩センターの将来に関しては,文化都市,学園都市,田園都市等,多機能都市としてのイメージも強いが,今後の指向方向は幾多の課題を解決しながら,「多摩−心のふるさと」をテーマに次代の子供たちの「ふるさと」に相応しい街を造り上げることではなかろうか。

 多くの遺跡と古街道跡という文化遺産にも恵まれ,住民相互の心のふれあい運動を展開したいものである。

 

 

81.「ふるさと多摩ニュータウン」

中村裕子(主婦) 多摩市鶴牧 

 もう20年以上も前のこと、家族で多摩ニュータウン見物のドライブに出かけました。私の実家は多摩川と大栗川に挟まれた、桜ヶ丘カントリーを見上げる地にありますが、「多摩ニュータウン」というと、丘の向こうのことといった感じだったのです。一度それなるものを見に行こうと父がハンドルを握ったのですが、どこをどう走ったのか、整然と立ち並ぶ住宅群に「別世界」という感がしたのだけを覚えています。

 その私が多摩ニュータウンに住んで8年が経とうとしています。結婚が機の入居でしたが、住んでみると、とても子育てしやすいところという印象でした。緑が多く、自転車で公園のハシゴができるのも、多摩ニュータウンならではだと思います。多摩川にほど近い昔ながらの地が、両親に育まれた私のふるさとであるのなら、多摩ニュータウンは私が子供たちを育て、家族を作り上げていく場所です。これからも多摩ニュータウンが、3人の我が子がふるさととして自慢できるようなまちであり続けるよう願ってやみません。

 

 

82.

向井 ちぐさ  八王子市南大沢

  多摩ニュータウン様

拝啓

 あなたのこと、はっきり言って、あまり好きではありません。

そつのない、どこをつついても優等生、そういうあなたが苦手です。私にはあなたが似合わないし、あなたにも私は似合わないと思います。

 けれど、娘たちには、選択の余地なくあなたがふるさとです。私には悲しいけれど、娘たちは当然のようにここで成長しています。だったら、わたしもあなたを好きにならなければなりません。だって、そうじゃないと淋しいでしょう。

 わたしが育ったふるさとは・・・春になると向こうの段々畑がキンセンカと菜の花のボーダー柄に染め分けられて、縁側からは遠くに港がキラリと光って、庭の柿の古木は、月の光に照らされて黒々とシルエットで浮かびあがって・・・・ああ、あなたとは月とスッポン。悪いけど。

 でもね。ちかごろふとあなたも悪くないと思える、というか、昔のようなごわごわした違和感が薄らいで、結構いい気持ちでいるわたしを発見することがあります。どうやらすこしあなたに馴染んだようです。愛は育てるもの、なんてね。そう、わたしだって、あなたを好きになろうと努力していますからね。

 わたしは、港の見える縁側のある家で、お座敷から柿の木とその向こうの空を見上げながら死にたいと思うけれど、ニュータウン2世の娘たちのことはお願い。あのこたちは、あなたにいろいろな色や匂いをくっつけながら、ここで人生を紡いでゆくのだから。あなたがふるさとなんだから。くれぐれもよろしくお願いしますよ。                        かしこ

                            如月佳日