【提案】
58.「パートナーシップでつくる多摩NT」
松原 和男(コンサルタント) 多摩市落合
未来の実験都市としてスタートした多摩NTも、急激な高齢化に直面しようとしています。また、廃棄物や環境問題など、現代人類の抱える様々な困難にも直面しています。これらの問題に、今、生きている我々が真剣に取り組んでいくことが必要だと思います。
このとき、重要になってくるのが、行政と市民、企業等が各々の役割分担に基づいたパートナーシップではないでしょうか。現代の抱える諸問題は、行政だけで解決できる問題ではなく、人材や財源、ノウハウの面からも多様な人々が協力しあう仕組みをつくっていかないと克服できないのではないでしょうか。市民の中にはボランティアの心も育っています。また、高齢者や障害者の問題に真剣に取り組んでいる人もたくさんいます。こういう優しい心を持った人たちの実践が持続できるような社会、また、そのような心を多くの人たちに広げていくことができるような社会、その実現が困難を克服する道ではないかと思います。
多摩NTこそ、21世紀の都市や自治体をリードする、新しいパートナーシップを実践していく仕組みをつくることのできるまちだと思います。
59.「行ってみたい街」をつくる為に
石塚玲子(パートタイム) 多摩市鶴牧
昭和57年3月、トンネルを二つぬけて着いた多摩センター駅は、ひっそりとしていました。あれから15年。しゃれた住宅団地も増え、デパートや企業の高層ビルも建ち並びました。しかし、街としての賑わいがまだまだ足りません。閉店する店もあり、心が痛みます。眠り帰るだけの街ではなく、経済的活力のある街にする為には、地元の人の購買力を高めることも当然のことながら、他の街から来て、買ってもらうことが必要です。「安い店」「楽しい催し物」で誘う以上に、ニュータウンには大きな力があります。
聖蹟記念館周辺や乞田川添い、奈良原公園の桜をはじめ、ゆりの木、銀杏、欅、花みずき等、あちこちに美しい並木が育ちました。これを大事にし、ニュータウンの広々とした空間と自然をもっともっと宣伝しましょう。スーラの絵のように、中央公園の水辺に憩う人の数が増えることこそが、買い物客が増え、街が発展することにつながります。
並木の名所をつくり、育てましょう。
60.「ニュータウン26年生活者の視点から」
高田 和雄 多摩市諏訪
<行政の果たす役割は大きい>
総論は国(建設省)・都・各論は市(多摩市等)何れもヒト・カネ・モノを持っているところの力で決まる。市民の提案を取り上げ、実行に移すように、行政にいかに働きかけるかが決め手となる。
<行政の限界>
長期的な展望や経済効果の測定など、日常業務の中で、行政マンが経験することは少ない。これを補完するものとして、ニュータウンに大学が誕生しているが、行政が自らのシンクタンクとしてこれを最大限に活用する意識は低い。忍耐強く行政にアプローチし、刺載を支えることが、市民の提案を具体化する近道である。
<ニュータウンの未来図をパノラマ図にして多摩センター駅構内に展示する>
多摩都市モノレール・尾根幹線道路・誘致企業など未来図が目で見る事ができ、ロマンを抱くことのできるようにする。
<住民主導の町づくり>
・ニュータウン内のゴミはニュータウンの中で処理する。
・ニュータウンを落書きゼロの町に
これらは住区毎のコミュニティセンターを中心に活動すれば実行可能である。
手はじめに、小・中、空き校舎の転用への提案を。
61.「パルテノン多摩を市立図書館に」
奈良坂 淳子(自由業) 多摩市豊ヶ丘
今年の冬は、晴天が続きますね。人口的な街だと言われるニュータウンですが、豊ヶ丘の我家の窓から、小学校の裏山の木々や上之根通りの並木眺めながら、ポカポカと日差しを感じています。
7年前、杉並のアパートに不動産から送信された一枚のFAX。初めて「多摩センター」という駅があることを知りました。「もう少し広い部屋」の為に、この駅に来て、広大なペデストリアンデッキとOVER THEREに光り輝くパルテノン多摩…。夫と二人、心は決まりました。 都心までの距離には、今でもうんざりします。でも、永山のトンネルを抜けて空がサッと拡がると、アッ帰ってきた、と思うようになりました。
さて、そこで愛しのニュータウン様に、心底からのお願いです。駅の近く、できればパルテノン多摩に、図書館を作って下さい。午後の日差しに、時が止まったようになる、映画「耳をすませば」の中の図書館が理想です。
62.「わが街,多摩市に新しい地場産業を」
柏倉 利明(マーケティングプランナー) 多摩市永山
・「産業」が「文化」を産み,「情報」発信ができるという理念が,私の提案の基本スタンスです。多摩市の産業って何だろう。関戸で新世帯を持ち,永山に移って,多摩市四半世紀以上も住み続け,ふるさと多摩ニュータウンを想うときいつも感じていることです。 ・この街で生まれた息子や娘は思い出をつくりながら生活し,やがて出ていくでしょう。それは私が育った山形県天童市に対してと同じことです。私たち夫婦は,ずっとこの街に住み続けるつもりですから,出ていった彼らが帰郷したときの受皿になれるはずです。
・しかし,この街に住んだ多くの人たちにとって,出ていったら帰郷しにくい街になっています。多摩ニュータウンは経過する街でしかないのでしょうか。団地の集合住居の構造上の問題もあり,一戸建住居への根強い願望もあって,人はこの街を捨てていきます。
・この街は都心に対しての「サブ」の街,ベッドタウンという認識があります。それはこの街にこれといった産業がないためもありましょう。かつては農業という産業がありました。ニュータウン化という都市化の波はこの産業を追いやってしまいました。
・この街への大手企業の進出も増えています。しかし,これらの企業の産業のほとんどはニュータウンの産業とはなり得ません。地場産業とは,少なくても地域住民の半数位が生活依存できるものであり,通民だけではなく,住民が働ける産業であるべきでしょう。
・まず地場産業の整備振興を,というのが私の考えです。多摩ニュータウンの地場産業とは「元気再生産業」です。この街に帰ってきて,元気になってまた出ていける。住民だけでにはなく,訪民,通民にとっても「効く」そんな産業が,この街の産業であるべきです。
・この産業は,従来型のハード産業ではありません。サイバースペース時代のソフト産業であり,今,多摩市で展開されているビジネスが,大きな投資なしに「元気再生産業」に衣更えできる「言い出しっぺが勝つ」産業です。「旗振り役」が必要な産業です。
・ コニュニティの活性化が必要です。私は多摩市に住む私たち「親父たち」からの行動を提案し続けています(いきいき多摩提案)。そして,いま,息子,娘たちを中心とした,かつての地域社会にあった「青年会活動」の展開を,提案先がないままに模索しています。
63.「介護機器リサイクルセンターをつくろう!」
田中 真由美(医療ソーシャルワーカー) 多摩市貝取
縁あって多摩市内の老人病院で相談員として働くようになってから5年になる。高齢化率はまだまだ低いといわれていた多摩ニュータウンだが,入居者が年を重ねてきただけでなく,地方の親を呼びよせて同居することが増えていることが,毎日の仕事を通して感じとれる。
年令が高くなるにつれ,自力で身のまわりのことができなくなる方の割合は減る。そのときに助けになるのが,背もたれが上下するベッドだったり,入浴用の高めのいすだったりする。介護機器といわれるものである。これらは概して高価である。自治体の福祉の制度で助成金が出る場合もあるが,収入制限があったり,寝たきりでないと助成されなかったりする。(そうなる前に,そうならないように使用するのが重要なのだが)また,今年度の多摩市では12月まで福祉の財源がきびしくなってしまったときく。
そこでだ。リサイクルセンターをつくろう。いつかは不用になるものなのである。たぶんあちこちに眠っている。場所としては空いた学校や教室があるときく。そこを利用してはどうか。高齢化社会に対しての安心材料になるのではないだろうか。
64.「住民が本当にこの地に住んで良かったと思うようにするには」
永井 保正(シルバー人材センター理事) 多摩市桜ヶ丘
(1)自然環境の保護−野鳥観察や森林浴のために,自然を残すように各方面に
働きかける。
(2)花いっぱい−街かど,家の回りに花壇を。
(3)公園の整備−住民の参加。協力を得て。
(4)災害・防災−実践的訓練と体制づくり。
(5)ごみ−ごみを出さない工夫。ごみを肥料に。
(6)空き学校・教室−リサイクルの作業所にして,家具・電気製品等をリ サイクルに。
(7)文化人の発掘−学識経験者を登録,講師に。
(8)遺物保存−発掘した遺物をもとに郷土館を。
(9)伝統芸能の保存−太鼓・竹細工等の継承。
(10)産直市場を−野菜・果物などを産地から。
(11)名産を創出−(例) で椎茸を栽培。
(12)特性作り−映画,音楽,美術,演劇等,特色のあるイベントを創出する。
(13)市民祭−住民参加の住民によるお祭りを。
(14)市民との対話−公民館,ホ-ル,コミセン等を建設する時に,今以上に住民の声を。
(15)老人対策−医療センタ-,福祉隣組,ホスピスの建設など,対老人の施策を行政へ。
65.「多摩ニュータウンの未来 ユギファーマーズクラブからの提言」
吉田 忠功(会社員) 日野市程久保
多摩ニュータウンの計画予定地の一角で、地元の酪農家と養蚕家の好意で、農業体験をやらせてもらっている私たち『柚木の農業と自然を育てる会』通称『ユギファーマーズクラブ』の会員の 大半は 多摩ニュータウンの入居者です。
彼等は 家族で 春の風に誘われて ピクニックをしようと 京王線堀之内駅から北へ多摩テックの方に向かって歩いてきて 何かなつかしい田園風景に接するのです。そして 自分たちで入居する前は きっと こんな風景であったにちがいないと思い 複雑な気持ちにならざるをえないと申しています。
アトピー症に悩まされる子供たちとその親や 平常の勤務の緊張から解放され 精神的にやすらぎを持ちたいと 望んでいる都市サラリーマンにとって 以下の農作業は まさにいやしの時と 言えましょう。
すなわち 稲作(田起こし 田植え 稲刈り 脱穀精米 餅打ち) 蕎麦つくり サツマイモつくり 落ち葉掻きと堆肥つくり 薫製ハムつくり 福寿草の花を めでる俳句の会 竹の子堀 いかだつくりと 浅川サバイバルレースへの参加 さらに小学生の農業体験学習のための準備や あとかたづけなどです。
養蚕家の手伝いから 生糸の品質にこだわって 特殊な蚕の飼育を始める主婦の仲間も現れ 東京農工大の繊維学教室に 研修に行っています。また 草木染めによる織物を始める仲間も 出来ています。
多摩ニュータウンにおける 新しいライフスタイルに合った生活を確立するために 私たちは 農業公園構想を提案しています。これは都市住民同志の交流 地元農家との交流により 住みよいまちつくりをめざすものです。
そのためには 現在の宅地 農地を そのまま 広義の農業公園と 位置づけ 長い時間をかけて 農地 織物工房 乳製品加工場など 交流の拠点を 分散して 整備することで 少しずつ 環境の質を改善し 都市の中で 営農が 継続でき しかも 都市住民には 身近なところで 農業に接することが できるようにしようというものです。
66.「下町改造計画」
青木 健太(学生) 多摩市聖が丘
「綺麗すぎる」
これが,私の多摩ニュータウンに対する正直な感想です。確かに美しい街並みも,広い道も,公園も東京とは思えぬ程の充実ぶりですが,私には憂慮する事があります。それは,有名大学が多摩地区に次々に移転,創立された事と問題を異にしません。というのも,理路整然とした街(キャンパス)には昔あったような,むさくるしい溜まり場もなく,土管のある空き地も,親しみやすい食堂も見あたらないからです。新興住宅地ゆえ仕方ないですがこういった話題の共有性の喪失が”世代間の断絶”を加速させているのではないでしょうか。解決策はいくつか考えられます。例えば,どんと焼や地域運動会など世代間の価値観の相違を問わないイベントを伝統的にすることが挙げられます。しかし私は,親しみやすい喫茶店,特に銭湯といった個人が立ち上がることを期待したいです。大衆の内発的な欲求としてでなくては解決に向かわない為です。
67.「多摩ニュータウンへのラブレター・生ゴミの処理についての一提案」
鈴木孝雄(研究員) 稲城市向陽台
現在、大抵の生ゴミは焼却されていますが、有機肥料として利用されるのが最善であると考えます。微生物を利用した堆肥製造器などを家庭で使用する場合もありますが、団地などでは出来上がった肥料の使い道が無くて困っているという話も聞いています。また場所をとったり、臭いの問題もあります。
ここに簡単、便利、清潔、ゴミ資源の有効利用、地球環境保全のすべてが満足できる方法があります。ただし、行政の協力を得て地域ぐるみで行う必要があります。それは、各家庭の流しのシンク(深くなった部分)にガーベッジ・ディスポーザを設置し、生ゴミを水洗トイレの汚水と共に配管で流し、汚水処理場で回収して有機肥料として再生するという計画です。ご存じのない方のためにガーベッジ・ディスポーザの使い方を説明します。野菜や魚の調理くず、鳥の骨さらには残飯などを流しのシンクに入れます。食器などを洗うとき、水を流しながらガーベッジ・ディスポーザのスイッチを入れると、生ゴミは粉々になって流れてしまいます。24時間居ながらにして処理が出来ます。決められた日時に、ダストボックスまで行く必要はありません。雨が降る寒い朝はつらいです。また、カラスが生ゴミを散らかすこともありません。私は25年前ボストンのアパートで、また3年前グアム島のコンドミニアムでこのガーベッジ・ディスポーザの便利さを体験しました。これがあれば、食事の後かたつけは毎回私がすると妻に話しています。
この様に便利なシステムですが、我が国ではガーベッジ・ディスポーザを設置しないように行政指導されているようです。理由は配管や汚水処理施設の能力が不足しているとのことです。ゴミ問題解決の一つとして、下水道、汚水処理のインフラを拡充する必要があると思います。
68.「電脳都市の実現へ向けて」
鈴木孝雄(研究員) 稲城市向陽台
最近のインターネットの普及はめざましい。多摩ニュータウンの3市の行政が中心になってインターネットで結ばれた場合を想定してみた。まず、種々のお知らせや情報を見ることが出来る。行政からのものや地域のサークルのものも含め、検索機能により自分が探している情報に到達できる。また相互利用契約が出来れば、3市の図書館や運動施設を効率よく利用できる。情報は受け取るだけでなく、自分から発信することもできる。電子掲示板の上で色々な提案が出来る。さらにこれについて色々な意見を出し合うことが出る。また、不特定多数の人々から色々な情報(例えば、捜し物、How
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など)が得られる。セキュリティの問題が解決できれば、市役所に行かなくても住民票などの発行が出来るようになるだろう。計算機は24時間稼働しているから都合の良い時間に請求することができる。当面、書類は郵送されることになるだろう。また料金はクレジットカードで清算または口座振り込みになるだろう。
この様に便利なインターネットであるが、現在のところ個人がプロバイダーと契約する必要があり費用もかかる。市内電話の料金を負担するだけでインターネットに接続できるようになれば、電脳都市の実現は早いと思う。
69.「ニュータウンをマイタウンに=単一の行政区域へ=」
佐藤昭久(都職員) 多摩市諏訪
未来都市、実験都市といわれた多摩ニュータウンもすでに青年期からそろそろ壮年期に入ろうとしている。
住みはじめて6年、住みやすく、すばらしいと感じるものが多い反面、種々の問題が生じてきていることも事実である。一例を挙げれば、交通渋滞の問題であり、老人や児童の問題である。その一つひとつを詳述することは避けざるをえないが、ここでは住民の自発的な自治によってそれらの解決を容易にしていくため一方策を提案したい。
それは「多摩ニュータウン」の区域を単一の自治体にすることである。開発当初にこのような発想があり、検討もされたと承知しているが、いまではまったく提起されなくなっている。
関係者にとって「多摩ニュータウン」という共通項はあるものの、それぞれは稲城、多摩、八王子そして町田の市民である。区域内の企業や施設も各市に跨がっている。
これを例えば「多摩NT市」といった名称にし、単独の「市」とすれば、住民にも企業などにとっても共通項が増し、さらにはそこから発生している、あるいは発生が予測される問題への対応もより円滑になされるのではないだろうか。
ニュータウンの住民がニュータウンのための市長や議員を選ぶことができ、行政がより身近になると同時に共通の問題をともに考え、ともに解決していけるのではないだろうか。
設立を準備されている「多摩ニュータウン学会」で検討されることを期待している。
70.「多摩ニュータウンの活性化への一提案」
加藤美治(会社員) 多摩市鶴牧
すぐれた住環境の計画都市「多摩ニュータウン」も、住民の高齢化や子供の急激な減少、あるいは公団住宅の大量の売れ残りなど、マイナスの面が目立つようになってきた。しかし、その大部分が集合住宅であるために街並みを変えることは非常に困難であり、通常の市街地のような新陳代謝を期待することはできない。そこで、現在の良好な住環境を維持しつつ、かつ街を活性化することのできるプランを提案する。
ニュータウンの各住区には小学校および中学校が設置されてい驍 ・・△海譴蕕論古命瑤慮詐・箸箸發K統廃合の憂き目にある。これらを老人ホームに転用することが計画されているとも聞くが、それは街の活性化には逆行していると思われる。住宅地の真ん中に位置し、施設としてまとまっているこれら小中学校を有効に活用することはニュータウンの活性化にきわめて重要である。そこで、これらの施設を改修しスモール・オフィス、スモール・ショップあるいはスモール・スクールとして提供する。
そもそもが学校であるために小さなオフィス、ショップやスクールの開設は極めて簡単である。給食室はJフェテリアに、放送室はローカルFMやTV局に、体育館やプールはレクリエーション施設やスクールに、校庭の一部は駐輪場や駐車場あるいはテラスや庭園にするのである。低価格で職住接近のこのような施設を整備すれば、ソフトウェア・ハウス、ディジタル・クリエーション・スタジオ、ホビー、カルチャーなどの業種を誘致したり、あるいは大企業のサテライト・オフィスとして使用することも可能になる。また、主婦や高齢者がその趣味、技術、経験などを生かして働き続けることも可能になる。さらには、住人の流動化を促すことに烽 ・箸襪隼廚錣譴襦・い困譴両豺腓砲・い討癲"
「スモール・イズ・ビューティフル」をめざし、ビッグ・ビジネスをテナントとするよりは多様性を追求して、地域の活性化を図ることが重要である。