多摩ニュータウンへのラブレター

【スポーツ】

44.「夢のタマ・ニュータウン」

清野 浩介(会社員) 八王子市上柚木

 団地の中心には必ず空き地がある。この空き地は小学校のグランドより小さい。しかし,柵やフェンスはなく,樹木のみで囲まれ更にその周囲を10数階建てのマンションが10棟近く立ち並んでいる。空き地には子供の遊戯施設やベンチも無く,ただ一面に芝生が敷きつめられているだけだ。この芝生は午前中には幼たちが遊び,午後になると学校帰りの小中学生がサッカーボールを蹴る。ゴールポストは木の幹の間。土日になると大人たちがゼッケンをつけてミニゲーム。試合も盛ん。棟ごとの対抗戦や団地相互の試合。団地にはクラブが結成され,クラブの数は多摩地区で既に100を越えている。

 2年前には,クラブを母体にプロのサッカーチームも結成された。名前はタマ・タウンファイターズ。本拠地は多摩総合運動競技場。選手はクラブからの選抜。

とても強い。小さい頃から空き地でボールを蹴り,クラブで技術や戦術を学んだから。ファイターズの試合はいつも満員。試合はタマケーブルテレビで多摩地区の家庭に中継される。Jリーグへの参加も時間の問題だ。

 クラブの参加も多彩。サッカーに限らず野球もある。だから芝生の管理が大変だ。クラブの運営は住民の自主管理。住民の利害調整に気をつかう。そこで,団地の管理棟に付属するロフトハウスで月に1回親睦会が開かれる。団地は全て,住宅公団が建てたもの。しかし行革によって公団は撤退し,今は住民によるサービス公社が管理する。主婦がキャリアウーマンとして理事に就いている。また,団地ごとにコンビニがあり,注文は電子メールで行われ宅配サービスもやる。共生の思想。これが団地の理念。団地の中心はあくまで空き地。時々音楽会や大道芸・サーカスなども開かれる。まさに,活力の源。空き地から響する人々の喚声はニュータウン全体を包み込む。空き地から住民による,住民のための,住民の政治が竜巻となって上昇し,日本の空に拡がり,タマ・タウンファイターズのJリーグ制覇も近い。これが,私の夢。タマ・ニュータウン。

 

 

45.「多摩ニュータウン(多摩市)のテニス」

若林 忠夫(会社員) 多摩市鶴牧

 私が多摩ニュータウンに引越してきてから20年になる。その間ずっとかかわってきたテニスの状況を紹介する。

 私は昭和51年に多摩ニュータウンの一角多摩市豊ケ丘というところへやってきて、テニスをやりたいと思ったが、肝心のテニスコートが足りない。まわりの人にもテニスをやりたいという人が多かった。そこで先ず、テニスコートを増やすことが先決だと思った。丁度その頃はNTの造成工事が真っ最中の頃であり、テニスコートを作るのには最適の時期であった。そこで市へテニスコート設置の請願書を提出して、これが認められた。以後、それが市の方針となりNT地域を主体に27面のテニスコートが作られた。これは人口比からみるとかなり充実した面数である。

 このようなハードの面の充実に合わせてソフトの面の整備が急がれた。先ずテニスコートの周辺の住民を主体とした市民テニスクラブが作られた。現在7つのクラブがあり、いずれも200〜300人くらいの会員をようしている。昭和54年には、さらに広域的な交流を図るため市民クラブで連盟を結成し、全市的な活動を展開している。その結果、現在では底辺の拡大と技術の向上が著しく、多摩市のテニスは東京都市町村の頂点に位している。そしてその特色は住民を主体とした草の根テニスが支えているということである。