多摩ニュータウンへのラブレター 

【自然・緑・景観】

21.「住んでみたら都だった」

杉浦絹恵(主婦) 八王子市別所

 始めて別所に越してきた時、なんてイヤな所に来てしまったと後悔ばかりでした。登っても登っても坂ばかり、一才の子供を連れ買い物に行き、”歩きたくない”の言葉にずいぶん泣かされた物です。5年たった今は住めば都とよく言った物で、この苦痛だった坂はよい運動場に変わりました。特に私の住んでいる別所はおもしろい所です。古いものと新しい場所の調和のとれた四谷見附橋・・・他には別所から唐木田に抜ける遊歩道があり、子供と探検して歩くのがとても楽しみです。山、土手、竹薮など、自然を上手に取り入れた人工のものなのですが、とても季節感のある所です。田舎育ちの私が子供の頃にかえった気分がし、子育てには、とても充実できる所です。これからもいろんな所を子供たちと探検し、新しい発見をしていきたいと思っております。

 

 

22.「縁深い多摩ニュータウン」

猪股忠近(地方公務員) 多摩市貝取

 なぜか多摩ニュータウンにたいへん縁がある。勤めだけでも三回目。昭和45年(1970)東京都南多摩新都市開発本部へ勤務になり水道の施設に携わったのが最初。二回目は昭和50年(1975)同本部の東部区画整理事務所。諏訪・永山・落合地区の区画整理と永山病院の誘致作業の一端を勤めさせて貰った。昨夏から東京都中央卸売市場多摩ニュータウン市場の勤務。そして、昭和58年(1983)には住居も多摩ニュータウンにしてしまった。

 天然の緑を伐って、茫漠たる赤土、土砂の山の中に林立する鉄筋コンクリート群といった初期の頃から四半世紀。人工の緑はその配置よく、根付いてケヤキなどの巨木となり、緑の公園面積の多さで有数の街になった。この街に住み続けたいという人が多い。私もその一人。既に宮城県の故郷に住んだ年月よりも、多摩ニュータウンに住んだ時間の方が長くなった。五ヶ月余り続けている公私共に多摩ニュータウンから一歩として外に出ない生活も、さして苦にもならない。

 

 

23.「わが既視感の街 ニュータウン」

柳正次(会社員) 多摩市唐木田

 時折、小学生の自分を夢に見る。若き日の母の手の感触や野球帽をかぶった友達の背中と共に、鮮明に夢の中で蘇るのは、自分の育った新宿・大久保の街並である。昭和30年代の大久保は、まだまだ随所に空地の残る住宅地であり、空の広さが実感できる街であった。

 初めて多摩ニュータウンを訪れた時、僕が感じたのは、その昭和30年代の新宿の街並に出会ったような既視感であった。

 四季の移ろいを自分の皮膚で受けとめられる充実感と、未来を志向して枝を広げてゆく確かな意思が、この街には現在進行形で息づいている。多摩センターの駅を背に、中央公園レンガ坂の並木道から宝野公園へ向かう道を歩きながら、僕が目にしたのはススキ野原の彼方に連なる丹沢山系の山並であり、耳にしたのは点在する造成地から響いてくる逞しい槌音であった。

 この街とて、しかしバラ色の夢ばかりに彩られているわけでは決してない。だが、この街を自分の育った思い出の場所として記憶に残せる子供たちを、僕はとても幸福だと思っている。彼らにしてやれる、ささやかにして最高の贈り物。それがこのニュータウンに暮らすことだと、僕は考えている。

 

 

24.「多間」 

下境真一(病気療養中無職) 多摩市東寺方

 日本人には古くから「間(ま)」という独特のものの考え方があります。それにはスペース・あいだ、という意味以上に深い趣が含まれています。昨年末、区内で暮らしていた私は、多摩ニュータウンに引っ越してきました。そうしたおかげで最近、暮らしにゆとりが増えたようです。今までの私はしらず、しらずのうちに、密集した街のあわただしい時間の流れに慣れていたようです。そんな私はこちらに来て二ヶ月、多摩の山々や大きな空を眺めているうちにそれまでの窮屈だった気持ちから解放されました。早朝、散歩にでて緩やかな山々の上に輝く朝日を仰いだ時、私はとてもやさしい気持ちになれます。空と緑の大きさの中にゆったりとした時の流れを感じるからです。まさしくその感覚が、「間」であるのではないでしょうか。ここ多摩ニュータウンは都心でも田舎でもない位置にあり、「ほどよく多い間(多間)」があります。私はそれがとても素敵だと思います。

 

 

25.「多摩ニュータウン」へのラブレター

柏田光江(無職) 多摩市愛宕

 この街に住んで早5年。多摩市は、住む程に素晴らしい街なのです。豊かな自然に育まれた森や雑木林は、武蔵野の面影を止め、歩いてゆける距離にある沢山の公園では、充分な自然と触れ合えるほか、それらを結ぶ網目のような緑道をたどれば、車社会と無縁の散歩を満喫できます。ベンチでひと休みする私の頬を爽やかな風が過ぎていきます。多摩ニュータウンは、四季の移り変わりの美しい街です。春の主役は、桜並木。夏は深緑が木陰を作ります。秋はニュータウン通りのいちょうを始め欅やすずかけや楓類の並木が、黄色や赤に色づき、えも言えない美しさは、街中が美術館と言ってもいいくらいです。冬には雑木林で小鳥が囀ります。緑の環境は、私に安らぎを与え、この美しさを何とか表現するために絵、手紙さえも始め、スケッチに精を出す日々となってしまいました。こんな素敵な街に住み、命の充電ができることを幸せに思います。私に活力を与えてくれるこの街が大好きです。

 

 

26.「緑に囲まれた街,永山」

湊 保弘(無職) 多摩市永山

 小春日和の昼下がり,北永山公園時計塔前で初老の婦人が,メモを手に不安そうに立ち止まっていた。私が婦人の脇を通り過ぎると,「あの恐れ入ります。永山4丁目へ行くのはこの道でよろしいでしょうか」

 と,後ろから婦人に声をかけられた。そして婦人は私に娘さんが住んでいるという,号棟NOを書いたメモを見せた。実は娘さんが永山駅に迎へに来る約束だったそうだが,1時間待っても見えないので仕方なく,番地名を頼りに歩き出したということだった。

「娘からの手紙には,永山団地は丘陵に建つ団地で,緑が多く小鳥たちの囁きが聞こえて来るとても素敵な所だと書いてありました。」

「私,今日来て見て,娘の言うことがわかりました。だって,団地が森に隠れて屋根しか見えないんですもの」

 と婦人は照れながら語った。

 婦人は私の案内で安心したらしく,初めて見た多摩ニュータウンの風景を褒め,孫の自慢を語り,笑みを浮かべて私と別れた。

 

 

27.「ニュータウンへ」

中本久志(フリーター) 多摩市鶴牧

初めてお手紙書きます。

 早いもので、あなたにお会いしてもう半年がたちます。あの頃のわたしは大切な人を失ったショックから、自分の理解者が一人もいないと嘆き、なげやりになっていました。

 別にあなたでなくても良かったのかもしれません。緑の丘、川のせせらぎ、大きな木々、池にたたずむ小鳥、この東京という排他的な都市の中で、こんな私でも包みこんでくれそうな部々を感じたのかもしれません。

 未だに私は過去の記憶に足をとられて、新しい一歩を踏み出せずにいます。でもあなたはそれでもいいんだと言ってくれるような気がします。前に進もうと思うだけでもいいんだと、

   そんなに自分に厳しくしないで、

出来ることから、ゆっくりと、

自分らしく、楽しみながら、

 これから先、あなたと一緒にあるいていくことは出来ないかもしれません、又、あなたのような町と出会って、新しい自分をみつけに行くかもしれません。

 でもその時は、初めてのように静かにいて下さい。

              そしていって下さい。 

すべては All right だと