多摩ニュータウンへのラブレター

【まちづくり】

49.「“造られた街”から“創っていく街”へ」

松原 友子 多摩市落合

 多摩NT(多摩市)に住んで15年。入居時は、既にNT建設がある程度進んでいた時期とは言え、その後、さらに交通環境の向上、商業・文化施設の集積も進み、一言で言えば、「住み良い」まちとして成長してきたと感じています。しかし、車依存の生活、少子化、高齢化の進展はN.T.計画時の予測をはるかに上回る速度で進んでおり、今、多摩N.T.は「住み続ける」まちとして再生を模索する大きな局面に立っていると思います。取り組むべき課題の中にはハード面の課題も含まれますが、より重要と考えられるのは、学校統廃合や高齢者世帯の増加等の問題の中で浮き彫りになりつつあるように、『住民がいかに、どのようなコミュニティを自ら形成していくのか』ということではないでしょうか? 

 「多摩ニュータウンはそのうちオールドタウンになる」と言われますが、これからは、“造られた街”から、私たちが主体的に関わり“創っていく街・多摩NEW2(2乗)・TOWN”としての再生を見とどけたいと思っています。

 

 

50.「愛しい多摩ニュータウンへ」

元山隆  多摩市永山

 昨年12月、満30才を迎えたといわれる多摩NT、人間にたとえるとバリバリの壮年期のサラリーマン。しかし現実のNTは一部に白髪の目立つ初老の人とも映る。多摩市の人口が平成7年を境に減少へと転じたこと。若年層の巣立ちによる高齢者世帯の増加。諏訪永山地区での学校の廃校など、その症状の一部である。

 しかし多摩NTには幸いにも全国各地から来住した17万人にも及ぶ市民がいる。こうした市民の知恵を束ねて、自分達のまち「多摩NT」を自分達の手で、つくり直すことが今こそ求められているのではないだろうか。

 NTに若い人をとり戻し、高齢社会に向けて活力ある、そして持続可能なまちづくりをしていくために、市民のマンパワーがネットワークとなり、具体の問題にコミットしていくことなしには、愛しいNTを救うことは出来ないのではないだろうか。

 時代の流れも、まちづくりへの市民参加のうねりを強めている。

 

 

51.「私達の手で花のある街を作りたい」

中西泰雄(会社員) 八王子市松木

 東京都や公団の手で宅地が造成され、団地や学校が建設されていく。

「緑豊かで整然とした街並」これが多摩ニュータウンのイメージ。団地が多いからだろうが、何かちょっぴり物足りない。

 駅前で色々なイベントが行われるが、そのほとんどは行政サイドによる企画。しばしば「地域住民は御客様」なのかと感じることがある。そこで、何か私達の手で出来ないかと考えたのが「花の街づくり」

 昨年の暮れ、「松木花の会」を結成した。地域の都市公園や駅周辺に季節の「草花」を植え、管理していくことを目的とするグループだ。豊かさ、楽しさを与えてくれる草花をいっぱい咲かせて、地域住民の手で、もっと住み良く、他に誇ることのできる街にしていきたい。

 

 

52.「人が来るのを待つ町より人が出かけて行き易い町にしたい」

梅垣 道弘(無職) 多摩市鶴牧

 私は時折、今、住んでいる多摩市鶴牧五丁目から、前に住んでいた同じ多摩市の永山五丁目へ、知人を尋ねていくことがある。両地は直線で約三キロ離れている。ここを乗り物で行くと鶴牧→多摩センター(バス)→永山(電車)→永山五丁目となり、時間にして一時間、交通費往復約千円となる。両地点を通称「尾根幹線」と言っている道路があり、ここにバスが通れば時間も交通費も少なくなり、今よりも随分と行き易くなる。 ところで私は多摩市の、周りの町へ出かけることもよくある。そんな時にも同じ思いがする。

・町田駅周辺 ここはとても活気があり下町気分を味わえる。Kという馬刺しの食べられる店、Fというカステラ屋、接着剤を探すにはT……。

・八王子駅周辺 古さと新しさが調和していて、しかも活気がある。いちょうホールの催し物にも何回か行った。目先のかわった「お総菜」をデパートで見つけて、その日の晩酌が弾むことも。

・立川駅周辺 広大な昭和記念公園、毎季節一度位は出かける。昨秋は銀杏を拾った。帰りに安売りの薬屋を見つけ、目薬三個まとめ買い。一個二五〇円は安かった。

・府中 ここは新しいデパートができたが私には「郷土の森」の散歩や催し物の方に足が向く。園芸、演劇、映画‥‥。行ってみたいなと思うものが妙に多い。

これらの町に私の家から出かける唯一の難点は、永山五丁目と同じく往復の時間と交通費なのだ。

 脚下照顧。多摩ニュータウンにも隣接の町にあるようなものはあるにはある。人が多く集まれば施設や環境も整備され、住民にとっても暮らしやすさを増しては来ている。だが「いまいち」なのだ。そこで私はそれにプラスして「人の来る町より、人が出かけて行き易い町」という発想も必要なのではないかと思った。もっと、大袈裟な言葉をお許し頂けるなら「大南多摩共栄圏」を作って、各市の人々が往来を盛んにして、共に栄えようではないかという事である。

 

 

53.「市民参加のまちづくりを」

内井 俊雄(会社役員) 多摩市貝取

 多摩ニュータウンも単なるベッドタウンのまちから複合都市を目指して,まちづくりがなされて,かなりの歳月を数えるようになった。

 まちづくりは本来,建築家,行政,ゼネコンなどでつくるものではなく,そのまちに住む市民が参加することにより,はじめて素晴らしいまちづくりができるのではないかと考える。

 私自身,ここ多摩ニュータウンに移り住んで10余年になるが,先の大戦を挟んでちょっと数え切れないほど住みかを変えており,今のところが最も長く住むまちになった。

 年齢から考えても,出来ればこの地を終の住処と考えている。

 幸い今のところは緑豊かで,花のあるくらしの息づかいもみられ,景観もそれなりに配慮されているとともに,公園,遊歩道が整っていることはありがたい。

 このうえは花と緑豊かな環境と生活の場を維持,発展させ,そこに住む市民が心豊かにくらしていける,ヨーロッパ諸都市に負けない素晴らしいまちづくりにすべく市民参加をも期待するものである。

 

 

54.

田中 愛浩(会社役員) 多摩市貝取

私は,多摩ニュータウンの永山で16年余りアーチスポーツという総合スポーツクラブに関わっている者です。

 開設当初は,スイミングスクール,体操スクールが主体で運営されておりましたが,今では大人を交えた総合スポーツクラブになっております。

諏訪,永山地区というニュータウン開発の早い地域を対象としており,開設当初は多くの会員を抱えておりましたが,現在は,就学児童がピーク時の60%程度に減少しスクール会員もこれに合わせて減少しております。

当然の事ながら,この地域では小学校や中学校の統廃合なども行われております。本来なら,この間にニュータウンで成人した子供たちも結婚をし,多摩市で世代交代が行われるわけですが,3DKの狭い住宅では同居もままならず,愛着のある故郷ニュータウンを離れていっているのが現状です。

今後は,今まで高度成長を活気良く引っ張って来た団塊の世代を中心に,高齢者ばかりが目立つニュータウンとなってしまいます。

 まして,当初の住宅にはエレベーターもなく,5階建ての上階に住む人達は,体力の衰えも考えると不安は募るばかりです。

 本来なら,同居の人達がいれば助けも借りて介護など行われますが,若い同居人が望めない現状では,介護などの多くを自治体に頼らざるを得ないと思われます。自治体に及ぼす費用負担は大きくなる事が予想されます。

 このような事から,再開発計画も噂されておりましたが,今回の住宅公団の再構築に伴い計画の遅延が心配されます。

このような中で,今後,多くの方たちがニュータウンで高齢化を迎えるわけですが,豊かで活気ある町つくりの実現を目指し,現在少人数ではありますが,多摩市青年会議所の有志や町の企業の有志の人達と共に多摩市の高齢社会に備えた勉強会を行っております。 これは,当社でお願いしている多摩市シルバー人材センターからの人材派遣を通して,シルバー人材センターが計画している「つるかめ構想」を知ったからであります。

 このような事から,平成8年11月1日に南大沢で行われました,社団法人シルバーサービス振興会主催の,「高齢化社会とまちづくり」と言う国際シンポジウムにも参加させてもらいました。

 この中で,ニュータウン計画の当事者も,当初は住宅問題解決を図る事が主目的で,将来的な展望を考慮した計画がなされなかったと認めておりました。

 この時,参加されていた,ニュータウンの高齢者対策先進国のイギリス・スウェーデンの高齢化に対する状況を聞いて日本は遅れているという実感を持ちました。

 その他にも,いろいろな問題はあるかと思いますので,このたび,先生の設立する「多摩ニュータウン学会」に一般市民として是非参加したいと考えます。

 今後,どのようにすれば良いか教えてください。

 

 

55.「高齢者障害者の方々にやさしい住宅作りを!!
                             −誰でも皆年をとるのだから−」

白石 美奈子(医療ソーシャルワーカー) 多摩市貝取

私は,仕事柄多摩ニュータウンに住んでいる高齢者と関わっている。病気になったことがきっかけで大なり小なり障害を持つことになった高齢者の方々の住居(公団)を訪づねていつも感じるのは,住んでいる住民が高齢者や障害者になることを想像もせずに作ってきた建物ばかりということだ。一番問題に思うのは4階等2階以上もある住宅であるのに階段しかない建物が多いということである。住居の中は,手すり・スロープ等で何とか生活できるようになったとしても,外へ出るためには階段というバリアがある。車イスに乗った方は容易には外出が出来ず,当然ながら生活圏がせまくなってしまう。

 バブル時に建てられた公団には入居者がほとんどおらず,又建設途中のまま放置された公団もあると聞く。家賃が高いばかりの公団ではなく,高齢者・障害者が住みやすいバリアフリーの住宅を建ててほしい。今はまだ高齢化率が低いといわれている多摩に住んでいる住民は確実に年をとっていく。今の階段しかない住宅に住めなくなった高齢者・障害者が住みかえの出来る住宅の建設を切に願う。

 

 

56.「多摩ニュータウンについて思うこと」

飯塚 喜久子(主婦) 多摩市鶴牧

 計画的な構想のもとに拡大を続けてきた多摩ニュータウンだが,これからは,人間関係のつながりが育つ環境作りが必要だと思う。

 身近に利用できる老若男女が共有の集う場所(住居区域のコミュニティーセンターのようなもの)を,もっと普及しても良いのではないか?。ニュータウンの合理的な住形式は,生活を簡便化するが人間関係は希薄になるばかりである。一,二カ所,大御殿の様なスポーツ施設や,福祉施設(それなりの存在意義は認めるが)等があれば解決するものではないと思う。

 又,近頃,都市人口の高齢化ということをよく聞く。多摩ニュータウンが,オールドタウンや寿タウンになってほしくない。

「多摩ニュータウンは,○○だから,多摩ニュータウンに,是非住みたい」と各年層から言われる人気のある街でありたい。「是非住みたい」何かを考えてみる時期が,今,きているのかもしれない。

 拡大の一途をたどるばかりでなく。

 

 

57.「憧れの街」

山口 任見(主婦) 多摩市貝取

 今年の5月で多摩ニュータウンに暮らして3年になる。今から4年前に大阪の友人が子連れで遊びに来た際,多摩センター駅前の遊園地に行こうと言うので,訪れたのが多摩ニュータウンとの初めての出会いだった。当時住んでいたところには,大きな道路がアパートの横を通り,トラックの騒音と排気ガスに悩まされていたので,多摩ニュータウンに足を踏み入れたとき,その美しい街並みに感動し,思わずここに住みたい,と声を上げたほどである。

 それから一年,思いが届いたのか,この街に移り住むことが出来た。遊歩道がいたる所にあり,車と交差する所も少なく,子供と散歩するにも安心して歩ける。唯,此処に来て気になる事。昼間外を歩いている人が少なく,閑散としているのである。美しいゆえの静かさも大切なのかもしれないが,人のざわめき,生活の臭いのする活気に満ちた街に発展してくれたら良いなと,思う人恋しい今日この頃なのである。