多摩ニュータウンへのラブレター

【子供、若者、希望】

75.「多摩ニュータウン育ちの子どもらを行政へ」

松葉 道子(主婦) 多摩市鶴牧

 私は,昭和51年,多摩市にドッと団地が増えた時から21年住んでいます。多摩市で生まれ育った子どもたち3人も大学・高校生となり私の自由時間も増えてきたこの頃です。 私には,子どもの成長と共に得た2つの仲間があります。幼稚園時代に母親たちで作った人形劇の仲間とテニスです。あれから10年以上も人形劇を続けてこれたのは,もちろん良い仲間があったからですが,当時の公民館や児童館の職員の方々の応援もあったからです。地域にいくつもあるグループの横のつながりを作る「人形劇まつり」を通して公民館にはずいぶんお世話になりました。今春,公民館が永山にもオープンして2つになります。でも,建物だけあっても文化は育ちません。そこで,ニュータウン住民に愛着を持って企画・行動してくれる職員の育成が大事だと思います。地元の大学でニュータウン学を学んだ職員が若さとエネルギーで高齢化していく住民グループを引っぱってくれたら楽しいだろうなと思って期待しています。

 

 

76.「新しい田舎をつくる」

岩永 久佳(大学生) 多摩市諏訪

 多摩ニュータウンの玄関口永山近辺より西へ西へと進むほど人も街の活力もあふれ若さを感じる。新しくなればなるほど若い世代が多く住んでいるからであろう。ニュータウン初期にできた地域は人がそれなりに定着し,それ相応の落ち着きを見せている。街の落ち着きと共に高年齢層も増え,そのせいかひっそりと静まり返っていると言っても過言ではない。どんな新しい街でも人が定着するということは,いずれ高齢化地域を迎えると言うことに結びつく。ニュータウンは核家族向きである。ニュータウンは地緑が薄い。それは仕方ない運命である。高齢社会とまちづくりがクローズアップする中でニュータウンもまた大きな不安を抱えている。しかし,ニュータウンはそこ独自の文化を古い伝統というしがらみに縛られず何もない0のところから創造していけるし,そうしてきたと思う。だからこそ新しい街なのである。住む人が幾らでも手を加えクリエイトできる可能性を限りなく持っているところだ。理想を現実に変えていきやすいといえるかもしれない。そこにニュータウンのおもしろさがあると思う。そこで私は,人の定着と共にニュータウンから脱皮し,ただの新しい街でなく,町になっていくことを希望したい。つまりニュータウンを田舎にしよう。新しい田舎になれるようなニュータウン文化をクリエイトしていきたい。ニュータウンを巣立っていった子供が帰ってきやすいような地域をつくり,新しい家族関係をつくっていけるようにし,高齢者だけの町,都市の中の過疎地域として町の活気がしぼんでいくことだけは避けたい。田舎にするためのニュータウンはもはやオールドタウンとしてのそこに特徴あるまちづくりを持った新しい町なのではないだろうか。

 

 

77.「多摩ニュータウン21世紀へ向けて」

折井 卓爾(無職) 多摩市連光寺

 今世紀は、忌わしい戦争に始まり、その結果、勝者と敗者との双方に、幾百万という、犠牲者がでた。わが国は、憲法で、戦争を永久に放棄した。平和宣言である。

 多摩ニュータウンは、26年前に入居が開始となり、現在も発展の途上にあるが、その誕生と進展の歴史の中で、

1.住民の手による街、住民のための街

1.近代的な、科学・経済・教育・福祉・家庭づくりを目指した、地域共同社会

を、常に目標として高く掲げて、街づくりに励んできた。この目標は、今後とも変らない。平和の街多摩ニュータウンでありたい。

よりよい街づくりを計ろうとするには、住民間の意志の疎通を計ることが肝要である。「多数決」は、より多くの住民の声を汲み取ることから始まる。文芸・スポーツ・音楽・美術・書道・談論・娯楽・商業等々の活動が住民の英知と、指導者の才覚によって、活発に湧き上がる日を期待する。

 

 

78.「ニュータウンを思うとき」

川口陽士(多摩市立西落合小学校6年) 多摩市落合

 ニュータウンが30周年ということを、文章で表せないので、川柳にして感じたこと、思ったことを書いてみました。

 

  ニュータウン 百年までは 射程内

(ニュータウンができて30年、100年なんてすぐにきてしまうよ)

 

  ニュータウン 30なんて 序の口だ

(まだまだ、発展途上のニュータウン、30歳になったではなく、これからもっともっとまちとして、がんばっていかなくては)

 

  環境を 残して開発 ニュータウン

(公園が有るし、緑が多いと思う。親戚の家や、他の地域に行くとき、ニュータウンは環境には恵まれているとおもう)

 

  ニュータウン 五輪大会を 開催だ

(僕等のまちで、オリンピックが開催されたら、うれしいな)

 

  ニュータウン 恒星みたいに ならないで

(太陽みたいな自分で輝く星はすばらしいけど、ふくれすぎて何れ爆発してしまう。ニュータウンも輝くのはすばらしいけど、人口をふくれさせすぎて、壊れないように願っています)

 

 

79.「多摩ニュータウンへのラブレター」

須藤志津子(パート勤務) 多摩市豊ヶ丘

 あの年の“ガーデンシティー多摩”の日は春まだ浅く花々は震えて咲いてハーブも少し香っていた。近くの町からやって来て「月に人が立った」とロケット型のタイムカプセルに20世紀への手紙を書いた。陽光溢れる木々の緑や花の色々にむせながら住んでみたい。子供を抱く母親、広場でボールを追う少年や父親の元気な声、ゆるやかに歩く老人や、皆がおだやかな日を過ごしているだろうと書いた。そしていつか“ガーデンシティー”に住み春の竹の子、木の芽や若菜摘み、アカシアの白い花も香ぐわしく、秋はススキの穂がゆれ、枯野の冬の霜柱を踏み、雪の富士山も冬空にはえる。毎年毎年同じようで少しずつ違う多摩の四季を語り合って十年が流れた。「宇宙にステーションをつくろう」と言っているよ。あの日のタイムカプセルはどこにあるの、20世紀に入って開けるのはいつ、私のラブレターもあるの、そんな話しをしようよ。