多摩ニュータウンへのラブレター

【動物たち】

73.「私もニュータウンの住人です」

鈴木 亨  八王子市堀之内

 明治の40年代、現在でいうと八王子市松木の井草甫三郎さんが、千葉の先進地から私をつれてきた。そして、ここ南多摩に私たちの仲間が増えてきた。この辺の農家は「かいこさん」と「牛」で仕事をしてきた。私は今、八王子市堀之内寺沢という所に住んでいるが、私の先代達はほんとうにのどかな多摩丘陵の点在する牛小屋に住み牛乳を搾られていた。何年前だったろうか、昭和40年頃 私達の牛小屋のまわりに変化が起きた 人はどんどんのどかな丘陵をけずり始めて、ただ草もはえないような土だけの土地にしてコンクリートの建物がたち、おおぜいの人間が住みつくようになった。そうだな、昭和45年頃からだろうか、都市計画というなんかよくわからない人間のきまりごとができた。私たちのすまいである牛小屋が少なくなってしまった。そのかわり、人間の住む家が増えてきた・・ 私はなんとか、私の飼い主さんがなんとか私達と一緒にくらしているが、これからのことが不安だ。でも 新しく住みついた人間が、日曜日に私の住む堀之内寺沢に散歩がてら遊びにくる。みんな とってもいい顔して、楽しんでいるようだ。そう 私達もこのかわりつつある多摩ニュータウンのふちで人間達と一緒にくらしたらいいなといつも感じている。私の仕事である牛乳をニュータウンの人達に飲んでもらい共に住んでいけたらと牛小屋のなかから遠くに見える高層住宅をみながらいつも考えているものです。

 

 

74.「ニュータウンの人間どもへ」

自分たちの住処を追われたタヌキより

 おいこら、人間ども!!

  おれたちタヌキが、平和に、のんびりと暮らしていた、おれたちの土地に勝手に入り込み、”多摩ニュータウン”とかいって、どでかい建物や道路を勝手に造りあがって、このやろう!

 おれたちを勝手に追い出して、一体タヌキが何をしたっていうんだ。

 

 丘陵を切り崩し、木を倒し、川をコンクリート詰めにして、なにが「地球に優しい」だ、「環境に優しい」だなんて、笑っちゃうぜ!!人間どもは、ゴミの出し方だってなっちゃない。おれたちなんか、ゴミなんかだしはしないぞ!人間どもは、目と鼻の先までの所まで、車かなんかに乗りあがって、おかげで、最近ではタヌキまでゼンソク持ちが増えたぞ!

 

 この間も、自分のふるさとをもう一度みてみたいと、人間たちの住んでいる所へ降りていった、おれたちの仲間が、道路で車に跳ねられてしまった。若いタヌキたちは、人間に復讐してやると、血気盛んに息巻いていたが、何とかおれがおさめてやった。

 

 しかし、だいぶ前になるが、おれも人間の居るところへ降りていったとき、公園で、人間のちっちゃな子供たちや親子たちが、楽しそうに遊んでいるのをみたことがある。人間どもは、あんなコンクリートの穴蔵によく住んでいられるなと思っていたが、公園での人間たちの姿を見たとき、ホッとした。人間たちも、この土地で暮らしているんだってことがわかった。こうなったら、どうか、この土地を愛し、いつまでも、公園で子供たちや、親子や、お年寄りたちが楽しく暮らせる街にしっかり創り上げてくれ。

 

 たのむぞ、人間ども!!